社会に疑問を抱いた日【先生は完璧じゃない】

こんにちは、セラです。

わたしは現在、23歳でフリーランスとして活動しています。

フリーランスとは、特定の企業や組織に専属せず、独立した形態でスキルを提供する個人事業主を指します。

最近では、社会の変化によりフリーランスが増えてきましたが、とはいえ、まだ一般的ではないと思います。

 

わたし自身、今の生き方に慣れましたが、側から見るとやはり珍しがられます。

 

思えば、様々な場面で社会に抵抗してきて今があると思います。

 

今回は、これまで生きてきた中で社会に疑問を感じた出来事、社会に抵抗した日を振り返ってみたいと思います。

 

悩む人
・社会に疲れた
・社会に馴染めない
・仕事が楽しくない
・好きなことを仕事にしたい

 

こんな感じの方に読んでいただくと、何か一歩踏み出すきっかけがあるかもしれません。

 

みんなが経験する高校時代

高校の1〜2年生は、めちゃくちゃ青春を謳歌できる楽しい時期ですよね!

わたしも高校時代がとても楽しくて、今では大切な思い出です。

 

3年生になると、進路問題が迫ってきます。。(自称進学校だったので尚更です。)

この辺りから先生も周りの友達もシビアな空気感を醸し出してきます。

 

ピリピリ・・・

 

特に進路担当の先生には緊張感があります。

 

わたしも例のごとく、自分の進路を真剣に考え始め、興味がある大学は片っ端から調べたり、オープンキャンパスに足を運んだりしました。

 

そうしているうちに、行きたい進学先が見つかり、合格に向けて試験勉強に励みました。

私立の語学学校だったので英語中心の勉強にシフトし、試行錯誤しながら試験対策をしていました。

 

同時に、センター試験には臨まないことを決意。

 

それまで国公立含め、色んな学校が進学先の候補になっていたので、センター試験対策も行っていました。

 

第1志望が決まってからは、自分に必要な試験勉強を取捨選択したつもりでした。

 

高校時代の先生への疑念

その意思を先生に伝えたところ、怪訝な顔をされました。

予想はしていましたが、わたしの人生なので貫きます。

しかし、簡単には承認してもらえず、進路指導室に呼ばれました。

 

正直怖かったです。

 

それまで割と反抗せず真面目に学生生活を送っていたので、先生に強く言われるのは慣れていません。

 

進路指導室に行って、自分の考えを話しました。

 

そこから忘れもしない出来事が。

 

進路担当のトップの先生と話していたのですが、怒りが募ったのか、分厚い冊子を机に叩きつけられました。

ヒエっ

怖すぎて泣きましたが、先生の怒りと言葉責めは収まることはありません。

 

みんなセンター頑張ってるのにその頑張りを踏み躙るのか、ふざけるのもいい加減にしろ。

 

この言葉は忘れられません。

 

「ふざけてない。どうしてそうなるの?みんなのことも応援してるけど、それと自分の人生は別じゃないの?」

 

どんなに話しても分かり合えず、泣きながら退室しました。

 

この時、

 

みんなと違うことをしようとすると叩かれるんだ。

出る釘は打たれる。

 

と悟りました。

 

選択の責任は全て自分

この高校時代の苦い記憶は、ずっとわたしの中に残っていて、消えることはありません。

 

当時は泣いてしまうぐらい辛かったですが、こんなのが善しとされる社会なんだと早く気づけて良かったかもしれません。

 

高校の先生は進学率を重視するので、わたしみたいな生徒がいると良くは思わないのも理解できます。

 

でも、そこで意思を持たずに、先生の言われるがままの選択をしていたら、いつか後悔してしまうと思いました。

 

後悔しても先生は責任をとってくれません。

人生の選択の責任は全て自分にあるから。

 

冷静に考えて、話の中身を差し置いて、生徒の前でモノを叩きつけて恐怖を抱かせ、従わせようとするのは先生として正しい姿なのでしょうか?

 

自分の中で、「何かおかしい・変だ」と違和感を持つことがあれば、その感覚に従った選択・行動をすることが将来の自分を助けると思います。

 

高校生の自分にしては、冷静に見れていたかもしれません。

 

こんな経験があり、今の、自分を貫く自分が形成されていったと思っています。

 

気づかせてくれた先生に感謝、と思いたいです。