1つにすることが好きな人間

なんで戦争が生まれるのか、
なんでケンカが生まれるのか、

周りの中途半端な大人たちはいう。
こんなふうになれ
これが正しい
それは違う

素直な人は受け入れる。

でもどこか心の奥で違和感を感じる人もいる。
その違和感に気づけるか。
気づいて自分を貫けるか。
そのままスルーするのか。

世の中は偏っている。
それが悪いことではない。
なぜなら決めなければ進まないから。
でもそれが悪い方に偏ったら。
それが悪いと分からなかったら。
悪いとはどういうことか。
なんで悪い方に偏るのか。

世の中は平等ではない。
平等であるべきなのか。
なぜ平等ではないのか。
なぜ平等にならないのか。
平等とは何か。
貧富の差を見て見ぬふりをする人間。
その差を埋めようとする人間。
それを阻止しようとする人間。
同じ人間でも全く違う考え方。
それはなぜか。

そもそも同じ考え方の人は一人としていない。
似ている人はいる。

Aというマインドをしない方がいいって人もいるけど、
Aというマインドがいい人もそうじゃない人もいるわけで、
結論を一つに導き出そうとするから争う。

同じこと、合致するということは気持ちがいい。
違和感を感じなくて済むことは脳にストレスにならないから。
快く受け入れることができ、快感を感じる。
ずれがあると直そうとするし、それは人間の本能だろう。

それを他人に向けるかどうか。
弱い人間は自分を保つ、守るために相手をコントロールしようとする。
そのせいで争いが生まれる。

小さい頃から違和感なく使われていた多数決。
多数決をすると物事を決定することができる。
そのおかげで前に進めることができる。便利だ。
でもそれが正解ということではない。
一定数の人が同じ考え方だっただけ。
そこには別の考え方の人もいたけど、
多数決という制度によって却下される。
それが間違いというわけではない。
決めなければならないから多数決が使われただけ。

決して正解不正解を導くものではないのに、
採用された側は採用されなかった側を
時に変わった人とみなす。
弱い人間はそう思われるのに耐えられないから
その後の人生、多い側に回る。
否定されないし楽だろう。
それに慣れてしまうと本当に思っていることが
言えなくなって自分を見失う。

操り人形の完成。

恐れに負けた代償は大きい。

1つにすること、正解を出そうとすることは正しいのか。
学問はそれが必要な世界。
人間の役に立つから。むしろ突き詰めていくべきだろう。
ではそれを果たして人間関係に求めていいものか。

毎秒誰かの命は途絶え、同時に新しい命が誕生する。
その度に違う価値観が誕生するということ。
わかっているのに争う人間。

正解を導き出そうとすること。無駄な行為。

みんな違ってみんないい

この意味がわかっても、
他人をコントロールしたい人間がいる限り、
違うことは許されない社会が続く。

違和感に気づいて、自分の軸を持ち、自分を貫く人でありたい
と思う。